ユニフォーム史
1.大正~戦前
大正末には東都医歯薬野球リーグが結成されており、対抗試合が定期的に行われていた。
その頃のユニフォームは、胸に英語で”JIKEI”の文字が刻まれている。伸縮性のない生地のためか、第一ボタンをはずしている選手が見られる。色の特定はできないものの、帽子の色は基本的に無地で、時々何かしらの着色されたものが認められる。アンダーシャツも当時は着色ありのものであったようだが、ほとんどの写真がユニフォームの色彩に準じている。
ステルン倶楽部
大正末から昭和初期にかけて予科活動していた野球チーム
帽子・胸文字が”S”。旧制高等学校や実業団チームと試合をしていた(大正14年10月15日慈大新聞より)らしい。
何かしらの大会(高等専門学校野球大会?)にも参加していたのか、表彰式の写真が残っている。帽子にもイニシャルをつけていたという点で、野球部よりも先進的な印象を受ける。
昭和26年頃
前列左側が昭和26年卒の柏崎修先生。軽井沢合宿での一枚。胸に筆記体で”JIKEI”表記されている。
表記の特徴としては、最後の”i”の後”J”に向かって大きく伸びる尻尾の部分。LosAngelesDodgersの影響か?帽子は以前のものを継承している。
昭和32年頃
このユニフォームは先程のスタイルを継承しているものの、筆跡が明らかに別のものとなっている。
山田統正先生(S38卒)によれば、”当時の胸文字は緑色で、南海ホークスのようなユニフォーム”であったとのことだ。工藤潔先生によると、”学部に上がるときにユニフォームを新しくした”そうであるから、昭和32年ごろまでしようされていたようだ。開始時期についてははっきりしたことは解らないが、この写真中央に3名ほど、以前のユニフォームを身につけている選手がいることから、併用していた時期があったのかもしれない。
昭和後期
平成元年
平成2年秋(1990年)のリーグ戦で優勝の後、ユニフォームを一新することになった。
平成3(1991)~5年
”部員全員の意見を取り入れて作った”ユニフォーム
オリジナルすぎて短命
平成6(1994)~11年夏
慈恵初の縦縞(ローリングス社)
平成11年(1999)秋~
ローリングス社・デトロイトタイガースモデル